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王 昌(おう しょう、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の人物。 == 事跡 == 献帝の虎賁(近衛兵)の一人。 興平2年(195年)、皇甫酈がに取り入っていた侍中の胡邈と言い争いになると、献帝はその身を案じて皇甫酈を逃亡させた。果たして、胡邈の報告を受けた李は、皇甫酈を殺害しようと王昌に追跡を命じた〔この点から考えると、王昌も胡邈と同様に李側の間者としての役割を果たしていた可能性もある。〕。しかし王昌は、皇甫酈が正しい人物であると考えていたため、故意にこれを見逃したのであった。以後、王昌は史書に見当たらない。 小説『三国志演義』でも王昌は登場し、史実と同様に皇甫酈を見逃している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王昌 (後漢)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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